蘚類のさく(蒴)歯の動き
植物の特徴といえば,なんといっても光合成によって自ら必要な栄養分を
つくりだすことです.雨と太陽の光さえあれば光合成が可能ですから,動物の
ようにエサを探して動き回る必要がありません.いつも同じ場所に根を張り
じっとしていて,いつのまにか花をつけ実を結び枯れてゆく,これが植物の
生き方だと言えます.植物がテレビ番組や雑誌で取りあげられる機会が
動物にくらべて圧倒的に少ないのも,植物には動きが乏しく動物のように
絵になる場面が撮影できないのがおもな原因なのでしょう.
そんな植物でも高速度カメラを使って時間を圧縮してみると,いろんな動きを
していることが分かります.コケ植物もしかり.とても小さなからだではありますが,
おもしろい動きを見せてくれます.なかでも一番観察が容易で動きもダイナミック
なのが,朔歯の開閉運動です.
朔歯というのは蒴の開口部を縁取る歯状の突起のことで,蘚類だけにある
器官です.胞子の散布量とタイミングを調節する役割をになっていると考えられ
ています.この突起が,大気中の湿度の変化に応じて開閉運動を行うのです.
それもゆっくりとではなく,見ている目の前でググッと動きます.虫眼鏡で
のぞきながら,水滴のついたピンセットなどを近づけてやると,水滴から蒸発する
水分に敏感に反応して,蒴歯が激しく動く様子をみることができます.
なぜ蒴歯にはこのように激しい動きが可能なのかには理由があります.朔歯を
つくる細胞の細胞壁は,成長の過程でさまざまな物質が沈着することで少しずつ
厚くなってゆきます.蒴が成熟して朔歯が完成される段階では,これらの細胞は
死んでしまい厚くなった細胞壁だけが残されます.隣り合った細胞の細胞壁が
背中合わせになって残ったものが朔歯というわけです.コケの種類によって
細かい部分は異なりますが,蒴歯というのはこのように2枚の板が背中合わせで
張り合わさっているのが基本です.実はこの肥厚した部分をつくる物質の種類と
厚みが裏と表の二枚で違っていて,水分の吸収のしやすさが異なるのです.
吸収しやすい側は水を多量に含むことで膨張しますが,その反対側はあまり
変化がありません.その結果,水を吸収しにくい物質からできている側に反る
ことになるのです.さまざまな電気器具に使われているサーモスタットは,温度
による膨張率の異なる2枚の金属を張り合わせたものです.蒴歯の構造は,
まさしくこのサーモスタットと同じで,温度ではなく湿度に反応する点が異なる
だけです.蘚類の中には蒴歯が二重に配列されている(それぞれ外蒴歯,
内蒴歯といいます)グループがありますが,内側のものは一層の細胞だけから
成り立っていますので,開閉運動はしません.
この蒴歯の動きは果たす役割については,昔から様々な説が唱えられていました.
ひとつは蒴の中の胞子を外にとばす役目,もう一つは朔歯の役割はフタであって,
胞子をとばすタイミングを開閉によって調節するというものです.確かに開閉する
朔歯によって胞子が外に掻き出されることはありますが,たいした量ではありません.
現在では,後者が主流の考え方のようです.
水を吸収しやすい物質が朔歯の断面で表側の肥厚部にあるのか,あるいは
その反対なのかによって,湿ったときに蒴歯が開くのか,乾燥したときに開くのか
という違いが生じます.この違いは,ある蘚類にとって胞子を放出するのが大気が
湿った状態が望ましいのか,その反対に乾燥した時が望ましいのかを強く反映
しています.具体的にいうと,木の幹や枝の上に生える種類では,湿ったときに
蒴歯が開きますが,地上性の種や乾燥した場所に生えるグループでは,乾燥した
ときに開くものが多いのです.木の幹に生えるコケは雨が降ったときに胞子を
出せば同じ木の幹に胞子をばらまくことができますし,地面に生えるコケでは
乾燥した風の強い時に胞子を出せば,遠くまで胞子が運ばれる可能性が高く
なります.このように,とても小さな蒴歯の開閉運動一つをとっても,植物の形は
とても合理的にできているのは驚きです.
何度か開閉を繰り返すと,蒴歯はぼろぼろになって壊れてしまいます.
もうそのころには胞子もほとんど飛んでいってしまっており,蒴歯はすでにその
役目を終えているのです.

